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札幌に戻ろうかなぁ・・・(続)メモ帳
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次の旅を決めなくては。
気まぐれで写真をアップしてみました。
普通の記念写真だけど、良かったら見て下さい。 http://www.photohighway.co.jp/AlbumPage.asp?un=65919&key=2015447&m=0 #
by jinguumae
| 2007-09-04 20:09
迷宮の町プラハ
プラハを訪れるのは3度目(数日前にも町を歩いているので、それを含めると4度目だが)である。初めてこの町に来たとき、何て美しい町なんだろうと思った・・・。
旧市街広場、カレル橋、プラハ城と歩き、その後もひたすら歩いて、やっとのことで予定していたホステルに着いた。ここが空いていなかったらプラハに泊まるのはやめようと思っていたが、部屋は空いていた。1泊300コルナ(1,830円)。学生寮そのもの。 夕食はチェコ料理の店に入ってみた。ビーフシチューのようなものを頼んでみた。付け合わせの、パンをもちもちっとさせたようなクネドリーキが重たい!別にパンまで付いてきたし。 プラハは、今もきれいな町であることには変わらないし、十分に魅力的な町である。でも、最初に訪れたときのような感覚にはなれない。それは、3回目だからと言うだけではなく、少しは旅慣れたからと言うだけでもない。時間のせいなのだろう。西欧化と言うことじゃなくて、自分自身が歳を取ったから・・・最初にプラハに来たときの自分には、もう戻れない。 #
by jinguumae
| 2007-01-28 22:44
低く暗い冬の空
もう少しヘプにいたかったので、もう一泊することにした。そしてカルロヴィ・ヴァリに向かった。
町は駅から離れている。川沿いを暫く歩くと、温泉街に入った。ホテルがたくさんある。でも、どこも高そう。町並みがきれいで、ボヘミアングラスや琥珀のお店があって、観光地っぽい。 コロナーダで温泉を口に含んでみる。鉄くさくて、「うわっ」ってな味。 この町に来たかった理由が2つあって、一つは、飛行機に乗ったときの機内誌に載っていたのと、それと、旅番組で見て、それらが印象に残っていたから。どちらも晩秋頃の景色で、その景色と重なる。 その旅番組で、緒川たまきが温泉を飲んだとき、「口を切って、その血をなめた味」といった表現をしていたが、なるほどその通りである。 次の列車まで時間があったので、歩き込まず、温泉街の端までを往復しただけで、ヘプに戻った。列車を待っている間、雪がちらついてきた。 ホテルに戻って昼寝をして、またヘプの町を歩いてみた。 #
by jinguumae
| 2007-01-24 21:38
新年あけました
2007年1月1日の朝。クトナーホラを歩いた。町は小さく、そして静かだった。
町を歩いていると、教会の鐘の音が聞こえてきた。静かな町で聞く鐘の音。これを求めていたのだ。何てことない小さな町をゆっくり歩く。こんな旅が好きである。 本駅まで30分程歩いて、そして列車を待った。行き先はヘプ。面倒だとも思ったけど、4日までまだ3泊時間を潰さないといけないし、クラクフまで行こうかとも思ったけど、前半で散々移動したからもう良いやって感じだし・・・とにかくヘプに向かうことにした。 途中、空が暗くなり、雨が降り・・・心細くなったが、へプに到着する頃には雨は止み、青空ものぞかせていた。そしてヘプに到着。 駅舎や、駅前の風景が社会主義っぽい!良い感じ!! ロンドンでのクリスマスを思い出し、お店とかは開いていないだろうと思っていたが、ぽつぽつと開いているお店もあった。両替商も開いていた。 一軒のホテルに入ってみた。独特の訛りのある英語に最初戸惑ったが、朝食なしで450コルナ(2,750円)ということで、部屋も見せてもらうとシャワー・トイレ付きだし、広くてきれいだし、ここに決定。 ヘプの町は、凄く雰囲気の良い町。小さい町で、東欧の感じ・・・建物であり、人であり・・・を味わえるし、この町に来て良かった。いわゆる“渋い”町である。 #
by jinguumae
| 2007-01-23 21:02
絶対的なものなんて・・・
年が変わるということは、色々な意味で区切りとなる訳だから、とても重要なこと。他の一年のうちの大部分の午前0時とは、やはり意味は違うことなのだろう。
しかし、それは、感傷的なものに過ぎないのかも知れない。自分にとって、一週間程前までは日本で生活していて、日本の時間の中で生活していたのだから、どちらかと言えば、チェコの時間より8時間早い、チェコ時間の16時、ちょうどプラハからの列車が出発した時間、その時を年越しとする方が妥当なのではないだろうか。チェコの田舎町、クトナーホラで、「あとちょっとで2006年が終わるなぁ・・・」とぼんやり考えていたとき、実はもう2007年になっていたのである。2007年になった瞬間、そのとき自分は、ホテルの部屋で、なかなか寝付けず花火の音を聞いていたのではなくて、散々疲れて、ぎりぎりに間に合ったクトナーホラに向かう列車の中にいたのではないだろうか。そう考えると、年越しの瞬間にプラハにいるという目的は達成されたと言えよう。 年を越すという、何か特別な瞬間と考えたくなるようなことも、実はあやふやで、頼りないことなのかも知れない。 そんなことを考えてみた。 #
by jinguumae
| 2007-01-22 21:25
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